多田羅迪夫紹介ブログ

多田羅迪夫紹介ブログ2022〜

演奏会のご案内

館林第九合唱団 2022 Winter Stage
(令和4年)12月4日(日)
14時00分開演(13時30分開場)

館林市三の丸芸術ホール
音楽監督 指揮:多田羅迪夫

混声合唱 館林第九合唱団
賛助出演 コール・オーラ (斉藤光孝指揮/ピアノ細川愉美)
ゲスト出演 クラリネット奏者 後閑由治
ピアノ伴奏
木村 美紀、飯野 景子
演奏曲目予定
第一部 第九合唱団ステージ
 「ハレルヤ・コーラス」(ヘンデル作曲)、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(モーツァルト作曲)、
 「荒野の果てに」、「ひいらぎかざろう」、「もみの木」
第二部 コール・オーラ ステージ
 「思い出のアルバム」「冬の夜」「たきび」他
第三部 ソリストのステージ
 ①渥美史生(館林第九合唱団講師)バリトンソロ
   1.G.Donizetti作曲 歌劇「La Favorita」より「Vien Leonora(来たれ、レオノーラよ)」
   2.O.Respighi作曲「Ma come potrei ...(どのように我慢できようか...)」
 ②後閑由治クラリネットソロ
  1.Schumann作曲「Drei Romanzen Op.94(3つのロマンス 作品94)」 
   2.Monti 作曲「Czardas(チャルダッシュ)」
第四部 合同ステージ
 「ふるさとの四季」(編曲者:源田俊一郎)
 ベートーヴェン作曲 交響曲 第九番 ニ長調 作品125「合唱付」 第4楽章抜粋
入場料
1500円(自由席、350名で開催予定)
プレイガイド 前売り販売所は設けていません。当日券をご購入ください。

http://tatebayashi-daiku.la.coocan.jp/ 館林第九合唱団HP
館林第九合唱団は今年で結成37年目となります。さあ、ご一緒に歌いましょう!

オーケストラ・ピットの話

ヨーロッパには各地にロココ様式の室内装飾で飾られたオペラ劇場が多く残されています。客席内部は馬蹄形になっていて、多くは中央の平土間席があり、周りに壁に沿って2、3階の観客席を備え、その2階正面にはロイヤル・ボックス(王侯席)が造られていて、オペラ芸術のパトロンが王侯貴族自身であった歴史を知ることが出来ます。

オペラの舞台と客席との間には一段と低くなった窪みがあり、そこにオーケストラ団員が譜面台の前にそれぞれの楽器をかかえて座っている空間があります。これが「オーケストラ・ピット」又は「オーケストラ・ボックス」と呼ばれる場所。多くは壁も床も真っ黒に塗られていてとても暗いので、ドイツの劇場で「オーケストラの墓穴」と呼ぶくらいです。ところがオペラが始まると、そこからは美しいオーケストラによる音楽が奏でられ、その伴奏によりオペラ歌手たちが歌うのです。

なぜオーケストラ・ピットは、客席平面でなく、建築構造的にもわざわざ面倒な一段と低い深い場所に造られたのか?理由は、二つ考えられます。

一つには、オーケストラ奏者が客席平面上の舞台前面で演奏すれば、舞台上の出来事を鑑賞するのに視覚的に邪魔。二つにはオーケストラの規模が大きくなればなるほど、歌手の声をかき消す可能性が出てきます。オペラ発祥の初期であるルネッサンス期にはほんの数名に過ぎなかった奏者の数も、弦楽器が増え、木管楽器(オーボエ、フルート等)が加わり、金管楽器(トランペットやトロンボーン、ホルン等)が加わる様になれば当然、音量もかなりのもの。その音量と歌手の声とのバランスを取るためにもオーケストラ・ピットは深く地下に潜ることになったと考えられます。

その頃に、前回お話したカストラート歌手たちが、専門化した高い技能をもって、その機能を拡大していったオーケストラとの競演を可能にしたのです。カストラート歌手以外の男性歌手たちは、カストラート歌手たちの陰に隠れてはいたものの、当初は脇役としてその歌唱技術を高めていき、やがて女性歌手と男性歌手がそれぞれの個性を発揮しながら共演する現代オペラの基礎が出来上がったのです。

魅力的なオペラの「ズボン役」

金木犀の香る頃となりました。

皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。

今日はオペラにおけるズボン役のお話です。

日本の伝統芸能「歌舞伎」には、男が女を演じる女形があり、「宝塚歌劇団」では、倒錯的魅力の男装の麗人たちが、共に人気を得ていますが、宝塚の「男装の麗人」のルーツが実は「オペラ」にあることをご存じですか?

オペラには、女声歌手が若い男性に扮して歌い演じる「ズボン役」があり、その起源は、中世ヨーロッパの「カストラート」の時代にまで遡ります。ヨーロッパの教会ではかつて女性が聖歌隊で歌うことを許されなかった時代の名残として、今でも聖歌隊のソプラノとアルトは少年が担当する伝統が続いていますが、その少年たちの未熟さをカヴァーするために、「カストラート」が存在していました。少年時代に手術によって去勢された男性歌手で、大人になっても声変わりせず、驚異的な歌唱技術と音域を保ち、妖しい魅力を放ちながら男性役と女性役の双方を演じてカリスマ的人気と勢力を誇っていたのです。19世紀以降、カストラートは非人道的として廃れてゆくのとは逆に、世俗の劇場(芝居とオペラ)では禁制が解かれた女性たちが進出。それまでのカストラートに代わって女性歌手が若い男性を演じ、倒錯的魅力を放つ「ズボン役」が登場するようになりました。

モーツァルトフィガロの結婚』で伯爵夫人に恋する若い小姓ケルビーノがその代表的な例です。

リヒャルト・シュトラウスナクソス島のアリアドネ』にも魅力的なズボン役である「作曲家」が登場します。台本は、詩人で劇作家のホーフマンスタール。

このオペラは、ウィーンの金持ちの邸宅の祝宴で、新作オペラを上演するはずが、イタリアの道化師たちの出し物と同時に上演せざるを得ないはめに陥るという設定。私も執事長役で出演したことがありました。

そして、シュトラウスは、芸術の理想を掲げる感受性豊かな若き「作曲家」役に、かのモーツァルトのイメージをも重ねていたのかもしれませんね。

ドイツ・リートの魅力 

昨日は十三夜の月が夜空に輝いて美しかったですね。

朝晩の風が秋の気配を感じさせる頃となりました。

今日はドイツ・ドイツ・リートのお話です。

 

個人の感情の表出 

聴き流すことのできない音楽

素朴で親しみやすく同じメロディーに沢山の歌詞がついている有節歌曲の民謡の時代から、

18世紀後半、それまでの形式を脱ぎ捨てるドイツの革新的な文学運動「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)」が起こりました。ゲーテが、心の葛藤や心情を告白する『若きウェルテルの悩み』を発表すると、詩人たちはそれまでの古典芸術の形式や啓蒙精神を越えて、自分たちの詩作に自らの人生観や哲学を投影してゆくようになってゆきます。以後、ドイツ・ロマン派の詩人たちに共鳴するロマン的思考を持った作曲家たちが現れ、「芸術歌曲」の形態が出来上がっていったのです。

王侯貴族の晩餐のBGMとして奏でられていた「美しい音楽」や、「‘民衆とはこうあるべきだ’といった啓蒙音楽」と異なり、形式から個人の感情の表出へと向かい合う、聴き流すことの出来ない音楽が出現してゆきます。

連作歌曲集では、シューベルト『冬の旅』『美しき水車小屋の娘』やシューマン『詩人の恋』が特に有名であり、これらの作品にはストーリー性があります。

 

その魅力もさることながら、私が演奏者として深く惹かれるものに、物語性とは別の作品群があります。

シューマン1840年に作曲した『リーダークライス 作品39』 は、ロマン派の詩人アイヒェンドルフの詩によるもので、第1曲〈異郷にて〉にはじまる12曲から成ります。アイヒェンドルフの名が‘樫の村’という意味なのは偶然ですが、作品全体にドイツの黒い森シュヴァルツヴァルト)」の雰囲気が漂い、ワーグナーニーベルングの指環(さすらい人 / ヴォータン)のようなイメージが共有性を持って、通奏低音のように流れているのです。

 

自己完結しない「個との対話」

私が16歳の頃、最初に聴いたドイツ・リートは、シューベルト作曲・ゲーテの詩「魔王」シューマン作曲・ハイネの詩「二人の擲弾兵」で、ドーナツ盤のレコードの表裏に、ドイツ歌曲の代表的な二つのバラード(物語詩)をカップリングしたものでした。

フィッシャー=ディースカウの美声と音楽的表現力に魅了され、東京藝術大学の学部生時代はドイツ・リートばかり歌っていたものです。

燦燦と陽の光が降り注ぐ瀬戸内で、『サウンド・オブ・ミュージック』さながら、家族そろって唱歌を斉唱する、のどかな少年時代を過ごした私にとって、思春期に出逢ったドイツ・リートの世界は、晴朗な現実世界と対極にあり、初めて体験した「個との対話」でありました。

特に妖精や魔女が潜む、迷い込んだら逃れられない魔力を持った、陰影を湛えた深い森は、哀愁とともに複雑な心の綾を織りなし、人智を超えた畏敬の世界へと精神を誘うかのようです。  

面白い事に、自己と深く向かい合う音楽行為が加速すると、自身の魂に、瞑想とは別の治癒がもたらされ、さらには、外へと向かって他者と共有し分かち合いたいという衝動が湧きおこってくるのです。芸術とは決して自己完結しないことを実感する瞬間であり、ドイツ・リートの演奏に没頭していると「mortal(死を免れ得ない存在)」である人間の在り方についての答えさえもが隠されているような気さえするのです。

                                

CD 多田羅迪夫奏楽堂ライヴ ドイツ歌曲の夕べ

ベートーヴェン: 歌曲集「遙かなる恋人に寄す」 (全6曲)

シューマン: リーダー・クライス Op.39 (全12曲)

ブラームス: エーオルスのハープに寄せて

ブラームス: セレナーデ

ブラームス: われらはさまよい歩いた

ブラームス: 甲斐無きセレナーデ

ブラームス: 使い

ブラームス: 風もそよがぬ、和やかな大気

ブラームス: 歌曲集「四つの厳粛な歌」 作品121

 

Disc Classica DCJA-21008

http://www.disc-classica.jp/lineup/tatara_michio.html

 

故岩下 眞好(いわした まさよし 1950年 - 2016年12月15日)氏・ドイツ文学者、音楽評論家による紹介文

この歌を、さあ受け取って下さい――新奏楽堂ライヴに聴く多田羅迪夫さんの魅力

 岩下眞好

 音楽が聴き手の心を強く動かすのは、その音楽が演奏家の心から発しているときだ。2007年9月18日、東京藝術大学新奏楽堂で行われた多田羅迪夫さんのリーダー・アーベントを聴いて念頭に浮かんだのは、ベートーヴェンが「心より心へ」と言いあらわした、あの永遠の真理だ。一曲一曲から、そしてプログラムの全体から、音楽への、そして人生への、多田羅さんの深い思いがひしひしと伝わってきた。

 

 この感興豊かな歌の夕べを冒頭の1曲とアンコールとを除いてほぼ完全に収録した当CDからも、それは、はっきりと伝わってくる。じっくりと耳を傾けて、それを感じ取っていただければもう充分なのだが、それでは役目が務まらないので、あの晩の演奏を当CDで振り返りつつ、僭越ながらも多田羅さんの思いを探って言葉にしてみようと思う。

 ベートーヴェンの《遥かなる恋人に寄す》は「憧れ」Sehnsuchtがテーマの歌曲集だ。丘の上に座って遠く離れた恋人に思いを馳せる第1曲で、自分の憧れの眼差しを恋人が見ることができないと嘆く第3連の「ああ、あなたはこの眼差しを見ることはできない」という詩句に、多田羅さんは、ほんの少しだけ感情の動きをこめる。憧れからは焦燥と苦悩も生まれるのだ。ロマン的心情が仄かに発露する瞬間だ。ここにきざした感情は愛の成就への確信と交錯しながら、終曲の第4連の「ただ憧れだけをはっきり自覚して歌を歌うなら」という、すべてを歌に託す決意に到達する。ここで「自覚して」bewußtという語が強調されるのは含意に満ちている。つねに憧れだけを身に覚えて歌を歌えば、愛し合う心はひとつになれる。そして憧れこそ、そうした歌の原動力にほかならないのだ。

 

 続くシューマンでは多田羅さんは、作品39の《リーダークライス》を取り上げている。ドイツ・ロマン派の詩人アイヒェンドルフの詩によるこの歌曲集は、故郷を喪失した孤独者のさすらい、森や古城、月明かりの夜、憂愁と春の夜の陶酔を歌う。多田羅さんの歌は、そうしたロマン的な風景と感情を、きめ細かく陰影豊かに描き出している。詩のコンテクストの知的把握と個々の言葉の意味への繊細な反応は、ここでも目を見張るものがある。一例だけにとどめよう。第10曲「薄明かり」である。表情豊かなピアノの前奏に続いて――鈴木真理子さんのピアノがじつに素晴らしい――美しいディクションで、言葉のひとつひとつを噛み締めるように、黄昏の薄明のなかで孤独な胸中に浮かぶ暗い想念が歌い込まれてゆく。このとき多田羅さんの美声が帯びる翳りも、また魅惑的だ。詩のなかには「死」という言葉は一度も出てこないのだが、歌を聴くうちに、黄昏とともに迫り来たものが、ほかならぬ死の影だったことがわかる。そうか、ここで歌われている「友」とは「友ハイン」、つまり「死神」のことだったのでは、と想像が羽ばたきもする。

 

 休憩をはさんで、コンサートの後半に置かれたのがブラームスだった。最初は歌曲選。ブラームスの歌曲は、みずみずしいロマン的感情に満たされているが、音楽も選ばれている詩の内容も、或る種の抑制のきいた奥ゆかしさがある。その滋味を豊かに表現するためには年輪を刻むことが必要だ。多田羅さんは、おそらく、ようやく機が熟したと考えられたのだろう。

 

たとえば、6曲中の第2曲目の《セレナーデ》は、詩をよく読んでみると、じつは単純な求愛の歌ではなく、青春の只中にいる若い恋人たちの姿を眺める傍観者の視点からの観察が歌われている。月夜の恋人たちの快活なロマン的情景に、このユーモアとペーソスの隠し味までをも加えるには、どうしても多田羅さんの芳醇なバリトンによる円熟した表現が必要だ。ブラームスの作品中でも最も美しい愛の歌のひとつである《使い》でも、隠し味は忘れられていない。風に使いを託しつつ愛の確信を反芻する胸に、だがどうしても芽生える不安のあらわれである「もしかして」vielleichtの一語が、なんと絶妙に歌われていることか。《甲斐なきセレナード》の語り上手も聴きものだ。

 

そして、プログラムの最後に置かれた《4つの厳粛な歌》が、この晩を千金の値あるものとした。死すべき存在である人間の悲しい宿命を歌い綴る作品を、多田羅さんは全身全霊を傾けて歌い上げている。《遥かなる恋人に寄す》で憧れに打ち震える初々しい恋愛感情と触れあい、《リーダクライス》で愛と死の暗示と象徴に満ちたロマン的世界を逍遥したあと、ブラームスの歌曲で様々なかたちの愛への洞察を深め、《4つの厳粛な歌》の初めの3曲で死と正面から向かい合う。だが、最後に、多田羅さんがブラームスに共感を寄せつつ高らかに讃えるのは「愛」Liebeである。「いつまでも存続するものは信仰と希望と愛・・・しかし愛こそは最も偉大なもの」と歌う第4曲の終結部は万感の思いが込められた絶唱だ。憧れから愛へと導かれ、苦悩と死を見つめ、ふたたび愛の確信へ。ここに、このリーダー・アーベントに託す多田羅さんの思いは完結する。これらの演奏が聴き手の心を動かさぬはずはない。 

オペラ歌手は太っている方が良いのか?

コロナで変わったことといえば、日常的にスポーツジムに通うようになったことがあげられるでしょうか。私は水泳が得意なのですが、プールや海に行かなくなった分、スクワットや筋トレに励み、中でも面白くなったのがボクササイズ。

男女問わず様々な年代の方々が気軽に始めることができるエクササイズです。

ドイツの歌劇場の専属歌手時代を経て、30歳前半で帰国した私は、お蔭様で現在も演奏を続けています。歌手は自分の身体自体が楽器ですから、身体全体が健康である事が一番大切です。特に心肺機能と、声帯の健康を維持する事が重要だと分かっていても、それがおいそれとはいかない事も身にしみて感じています

私は学生時代には痩せていて胸幅も薄かったのですが、ドイツ滞在中にプールに通って身体を鍛えた結果、胸囲が15㎝も増え、従来に比べて歌う事が随分楽になりました。つまりこの経験は、歌手にとって肺機能が優れた方が有利である可能性を示唆しています。

また、役作りで過度なダイエットをした際には、一時的に声までも痩せたと体感したことから、「太っている方が声帯も厚みを増して、結果的に充実した声が出しやすい」と感じる経験もしました。

しかし、世界的にもスレンダーな体型を保ちつつ、素晴らしいオペラ歌手である方たちが多い事も事実ですし、舞台姿が美しいに越したことはないのですから、声のためとはいえ、むやみに肥満を推奨してはならないのです。

 

近年、ヴィジュアル的にも声楽的にも身体能力的にも非常に優れた若いオペラ歌手が揃っていて、日本のオペラ界の人材が育ってきていることを実感します。

「オペラ」という芸術は、その発祥がイタリアであり、ヨーロッパを中心に発展していったとしても、今や世界共通の総合芸術として認知され、アジア各国にも国立歌劇場が次々と建設されるまでになりました。

オンライン国際会議などを通じて、各国のオペラハウスと共同制作や連携公演を日常的に行うことも容易くなりました。これからもユニヴァーサルなプロダクションが頻繁に上演され、多くの方々が「オペラ」に興味を持って、劇場にお越し下さることを願っています。

令和4年9月 雨滴聲 raindrop voice

もうすぐ神無月(10月)。諸神が出雲に集合し、他の地では神が不在になる月。

いつの間にか蝉時雨は止み、夕べには虫の音が聞こえる季節ですが、夏から初秋にかけては台風の季節。近年、日本に接近する台風の勢力が強まって被害も大きくなっているようです。

台風15号の影響により静岡県各地での浸水停電、断水のご不便いかばかりかと心配です。被災された方々に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 

また、令和4927日には、私の故郷、香川県坂出市、白峰山の麓に鎮座する神谷(かんだに)神社で、本殿の屋根が落雷による火事に遭い、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根などが焼けてしまったとのこと。

この本殿は、鎌倉時代初期(1219年)に建築され,建築年がわかるものとしては,現存最古の神社建築として国宝に指定されています。

檜皮葺とは、屋根葺き手法の一つで檜(ひのき)の樹皮を用いて施工される日本古来から伝わる伝統的手法で、出雲大社をはじめ多くの文化財の屋根で見ることができます。

神谷神社の後方には霊峰白峰山が聳え、白峯寺を中心とした豊かな自然に恵まれた地。

自然の脅威を感じつつ、早い復興を願います。

 

私は近年、神社建築や伊勢神宮系と出雲大社系の違いにも大変興味があり研究しているので、またいつか神社については、詳しく書きたいと思います。

 

 

さて、以前、泉鏡花高野聖(こうやひじり)』のことを書きました。

江戸時代に書かれた上田秋成雨月物語』の流れを汲むような伝奇小説であり怪奇小説の流れを汲む作品です。

今ではインターネットでも原文を読むことが出来るのですね。

青空文庫 

http://www.aozora.gr.jp

 

初めて『高野聖』を読んだのは高校生の頃で、原稿を書くために久しぶりに読み返して眺めていたら、目録のところに兄の名前の判子が押してあることに気づきました。年長の兄が読んでいたのを借りて読んだのでしょう。

 

私は子供の頃、文字を覚えるのがとても早かったので、随分本も読みましたが、幼い頃、祖父が私に平仮名とカタカナを両面に書いた小さな札で遊んでくれて、それをひっくり返しては、声を出して覚えるのが楽しかったのを思い出します。

文字というものが、何か知らない世界を教えてくれるとても魅力的なものに思えていました。

 

その後、泉鏡花のオペラ『天守物語』の姫川図書之助を演じた時には、かつて読んだ『高野聖』が役作りの根底にありました。

泉鏡花の作品には、美しい妖怪(あやかし)が登場するものも多いのですが、それはどこか人の力では制御しきれないし自然の猛威にも似ているようです。

 

ところで、『天守物語』の富姫のイメージというと、私は映画『雨月物語』(溝口健二監督が巻のニ「浅茅が宿」をアレンジした名作)で主人公を虜にする妖怪・若狭姫を演じた京マチ子さんを思い出します。

 

雨月物語』もこの機会に読み返そうと、古い本をひっぱりだしてきました。

一篇一篇が短い9つの短編から成り、流れるような文体も美しいのですが、私が持っているのは角川から出ている本ですが、文章のところどころに原本にあった挿絵も描かれていて、なかなか風情があります。

この巻の一は、白峯というタイトルですが、地理的には香川県坂出市青梅町にある祟徳院の御陵がある場所で、讃岐の国白峯を詣でた西行法師が院の亡霊と論争し、怨恨を慰めようとするところから始まります。

 

祟徳院は「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」と詠った鳥羽天皇の第一皇子ですが、1123年に5歳で天皇の位を譲り受けましが、18年の在位の後に譲位を余儀なくされ、皇位継承問題や摂関家の内紛による保元の乱に破れると讃岐に流され、45歳で没した悲劇の皇子でした。

 

上田秋成雨月物語』そして泉鏡花の作品群。彼らが描いてみせる陰の暗闇にじっと眼を凝らすと、やがてその曖昧さの中に妖しい影が確かな存在感を持って現れ、まだ人間の知り得ていない世界の不可思議が浮かび上がってくるようです。

 

秋気肌に染む時節、どうかお体にお気をつけて健やかにお過ごしください。

2022年10月16(日) 出演情報  The Telephone

Musica Felice主催「アリアはお好きシリーズ」

 The Telephone(or「L'amour a trois」)

 2022年10月16(日)「アリアはお好き?」Vol.15

~ The Telephoneとアメリカ生まれの曲たち ~

14:30開演  17:30開演  2回公演

後半:メノッティ「電話」(日本語上演)に出演します。

 MUSICASA (ムジカーザ)

小田急線・東京メトロ千代田線 [代々木上原駅]東口より徒歩2分

https://www.musicasa.co.jp/information/index.html

出演▼久保由美子(Sop) 多田羅迪夫(Bs-bar) 浅野和子(Pf) 粕谷ひろみ(Act)

¥4,500(一般) ¥1,000(小中高校生)

 

オペラ「電話」(または三角関係)The Telephone(or「L'amour a trois」) 日本語上演

作詞・作曲 ジャン・カルロ・メノッティ (Gian Carlo Menotti 1911年7月7日、カデリアーノ=ヴィコナーゴ - 2007年2月1日、モンテカルロ)95歳没

初演:1947年 ヘックシャー劇場(ニューヨーク)

上演時間:1幕 約30分

 

物語は、ルーシーとベンの二人芝居

「電話」は35歳の頃の作品で、インテルメッツォの形をかりた明るくコミカルな作品です。

今のようにメールやラインで連絡できなかった時代、顔の見えない「電話」が一番の連絡手段だった時代です。

 

旅立ちの前に、ルーシーにプロポーズしようと贈り物を持ってやってきたベン。列車に乗る時刻までは1時間しかないのに、のべつまくなしに電話が鳴って、ルーシーは長電話。

ベンはなかなか本題を切り出すことができません。女友達マーガレットとの長電話に間違い電話、時報をたしかめたかと思いきや、ジョージからの電話で喧嘩となり傷つき泣き出すルーシー。もはやベンが電話線を切ろうとすると怒りだしたルーシーは、今度は、パメラへ電話。時間切れとあきらめかけたベンは出かけ、外から電話でプロポーズ。即座にOKしたルーシーだが、「でも私の電話番号を忘れないでね。そして毎日電話してね。」と。

 

1947年といえば、私が生まれた年。メノッティの没日が誕生日ということもあって、

なんとなく親しみを覚えています。95歳までの長寿というのも見習いたいですね。

きっと、ベンのように寛容で怒ったりしない性格だったのでしょうか。

 

メノッティはイタリア生まれの作曲家。ミラノ音楽院で学んだのち、1928年から33年までフィラデルフィアのカーチス音楽院に移り、それ以降はアメリカに居を構える。カーチス音楽院時代に同年代の作曲家、サミュエル・バーバー(Samuel Barber、1910年3月9日 - 1981年1月23日 70歳没)と親交が始まり、作曲家のサミュエル・バーバー(男性)とは40年余りパートナーとして同棲し、バーバーと別れた後は、指揮者のトーマス・シッパーズがパートナーだったとか。

 

まだ女性の社会進出が過渡期でジェンダーギャップがあった時代なのでしょう。男性から贈物を受け取り、きりのないおしゃべりで長電話、別のボーイフレンドと電話で喧嘩し泣き出したり、怒ったり、最後は電話でのプロポーズに応じ、これからは毎日電話してねと甘えるルーシー。メノッティの作品の中の女性たちはなんだかあまりよいイメージで、ちょっと偏見もあるのか気の毒な気もするのですが、アメリカの国力がピークに達していたのは、1945年頃と言いますので、そんな時代に書かれたコミカルな作品を、スマートフォンやSNSが普及した現代に、時代の変化を感じながら、日本語で上演します。30分足らずの短い作品なので、気楽に楽しんでください。

 

 

 

メノッティは1936年から1993年にかけて27のオペラ作品を作曲し、中でも《霊媒》The Medium(1945)、《電話》The Telephone(1946)、《領事》The Consul(1949)、世界初のテレビ用オペラ『アマールと夜の訪問者』がよく知られています。

『アマール』は、1952年に旗揚げされた「二期会」で、1954年12月に石桁眞禮生作曲『河童譚』との二本立てで、俳優座劇場において、日本初演されています。クリスマスイブが初日でのなんと9公演。畑中良輔台本・畑中更予訳詞。演出は栗山昌良先生。青山杉作さんの演出助手をなさっていたのが、この二本立てで、28歳の時に、本演出家デビューされたのですね。

 

二期会史によれば、演奏=ラモー室内楽団と記載されています。見てみたかったなぁ。

それにしても栗山先生(1926年(大正15年)1月18日 - )は御年96歳。令和4年9月の二期会蝶々夫人』も栗山演出でした。67年以上の歳月を日本のオペラに貢献されているのは驚嘆すべきことです。

 

写真は、公演チラシと数年前の栗山昌良さんとのツーショット